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なつかしい世界(6)

いまから20年近く前に訳したロバート・フルガムさんの
『「~かもね」は人生の素敵な知恵』という本に、
こんな趣旨のことが書いてあった。

どん底にいると思ったら、気がついたら頂点にいて、
頂点にいると思ったら、気がついたらどん底にいる、
そんなものではないだろうか、人生は――と。

明るく、ほがらかな文章で世界的ベストセラー・エッセイストになった
フルガムさんにも、
ユタ州の荒涼とした原野で自殺をしようと思いつめた時期があり、
そのときのことを思い返しながら、そんなことを書いていた。

なるほどな、と思う。

頭を包帯でぐるぐる巻きにされたわたしは、
崖下の暗いアパートの部屋にひとりすわって、
このまま年越しをするんじゃ、あまりにもみじめだな、と思った。

で、どうしたか?

若者だ。

もちろん、そういうときは女の人のもとへ電話を……
なのだが、携帯電話なんてなかった時代だし、
固定電話も引けない貧乏若者だったので、
そういうときのお決まりの場所、公衆電話へ向かった。

けがは5針縫う程度の比較的軽度なものだったこともあり、
痛みもなく、
すれ違う人には、包帯ぐるぐる巻きの頭を見てぎょっとされたが、
おお、電話、電話――と思っている若者には、たいして気にもならない。

「じゃあ、お見舞いに……」なんて言葉を期待していたのだろう。
3日前に会う予定だった人には、東北地方の自宅にいると思っていたせいか、
電話をかけていない。
軽薄なやっちゃ。

でも、軽薄な男は、とかく厳しい現実を思い知らされる。

真っ先にかけた相手には、
「……というわけなんですけど……」と言っても
「それはおだいじに」と言ってガチャンと電話を切られてしまった。

やれやれ、やっぱりそんなものか――
と思って公衆電話ボックスを出て、アパートへ帰りかけたが、
交差点をわたりかけたところで、やっぱりこのままじゃ――
の思いが頭をもたげてきて、
あとひとりくらいかけても許されるだろう(誰に許してもらうのか知らないが)
と思い、また公衆電話ボックスに戻った。

今度かけたのは、ほら例の、
「どこかのお嬢さま然としていて」「おれとは関係ない」と思っていた
稲村さんだ。

こちらは、事情を話すと、
「わあ、それはたいへん。これからすぐにお見舞いに行きます」と言う。

え、あれ、いや、なにもそこまで……とは思ったが、
みじめさに耐えかねていた軽薄な若者としては、
うれしいことはうれしい。

で、なんとなくほくほくしながら、
ほくほくと汚い部屋をほんの少しだけかたづけ、
稲村さんの来訪を待った。

おもしろい人だった。

こちらにとっては、
こんなみじめないきさつでもなければ、
とても女の人に見せたいとは思えなかった、暗くて汚いねぐらだったのに、
そこにはいってくるなり、
「わあ、こういう流し。いいなあ。テレビドラマで見る流しみたい」
と言って喜んでいる。

もちろん、いまどきのIKEAで売っているような流しではない。
あの当時、木造アパートの小さな窓辺に
幅1m、奥行き50cmほどにわたって設けられていた、
薄汚れたガスコンロの置かれた、小さな流しだ。

「わたしも一度、こういうところで生活してみたかったんだ」と言う。

やっぱりお嬢さんだ。
な~んもわかっちょらん――
そう思ったわたしは、すでにだいぶ気が軽くなっていたと思う。

ただ、稲村さんの言う「生活してみたい」は、
ただなんとなく言っていたことではなかった。
「近いうちに、わたしもどこかにアパートを借りて、実家から独立しよう
と思っているんだけど」と、あらためて言う。

しかし、こんなお嬢さん、ひとりで生活なんかできるものか――
貧困にあえぐひねくれた若者はそう思った。

だから、頭が包帯ぐるぐる巻きなのをおぼえていたのかどうか、
「アパートをさがすんなら、おれもいっしょにさがしに行ってやろうか?」
と言うと、
「うん。そうしましょう、そうしましょう」と言う。

なんか、ピクニックにでも行くような言いかただ。
ちぇっ――と思うところもあったが、
でもどうも、うれしそうに笑う稲村さんの顔を見ていると、
頼りなさそうでしかたがない。

だから、帰る彼女を送っていこうとして、
先ほど公衆電話ボックスを出たところで立ちどまった
曙橋の交差点をならんでわたっていたとき、
稲村さんの顔を下からのぞき込むようにして、
「あの、もしかして、いやじゃなかったら、用心棒代わりに、
おれもいっしょに住もうか?」とたずねた。

アメリカには、ルームメイトというシステムがあるから、
ま、日本にもあっていいだろう――という思いが背後にあったが、
「いや、それは……」という返事が返ってくることは覚悟していた。

ところが、また稲村さんはピクニックにでも行くような口調になって、
「うん。そうしましょう、そうしましょう」と言う。

なんか、おもしろくなってきた。

そもそもこの話をリクエストしてくださったかたには、
そのとき、わたしに「下心があったでしょう?」と訊かれたが、
そういう意味での下心はない。
あ、この人が応じてくれたら、おれももっといいアパートに住めるかな、
という下心はあったような気がするが、
こちらもまさにピクニックに行くような気分になり、
「よし。じゃあ、そうしようか」と言った。

だから、その翌日だったか、2日後だったか、
次に稲村さんがアパートまで来て、
「どうせいっしょに住むのなら、入籍しませんか?」
と言ったときには、
は?――と思い、「ああ、それもおもしろいかもね」と答えたものの、
彼女が帰ったあと、ひとりになると、
あれ、もしかすると、「入籍」というのは「結婚する」ということかな?
あれ、待てよ、「入籍する」って、どういうことなんだ?――
と考えたのをおぼえている。

そう、つまり、どん底の思いを味わったと思ったら、
その数日後には、結婚することになっていたのだ。

無責任な男だ。
なんだかおもしろいなあ、
おれの人生がおれの前でどんどん勝手にまわっている――
ひとりになったときには、そんなことを思っていた。

その後の人生は、みな稲村さん、つまり、いまは亡き妻のおかげだ。
彼女のことを「おれとは関係ない」なんて思っていたのは、
自分のことを肯定できていなかったからだ。

貧乏だし、文章はヘタクソだし、変なことばかり考えているし……
こんな男、まともな人は相手してくれるわけないじゃないか――
この時期には、心の底にそういう思いをかかえて暮らしていた。

そんなわたしに目をつけ、
辛抱強く、なにがあっても受け入れながら、
わたしにも肯定できるところがあることを教え、
世間に背を向けていたわたしの心を少しずつほぐしてくれたのが
妻だった。

ただ、この話には、最後のオチがある。

妻と結婚することにしたとき、わたしは、
あ、あいつには知らせておかないと――と思い、
クリスマス・イヴの日に会う予定だった人に電話をかけた。

「もしもし」と言うと、
いきなり受話器の向こうから
「なにしてたんだヨー!」という憤怒に満ちた大きな声が聞こえてきた。
「えっ、なにしてたって、
あの日は大雪で、電車はみんなとまってたじゃんかよ」
と言うと、
「違うよ。走ったんだよ。わたしが乗った『いなほ4号』だけ走ったんだよ!」
と言う。

言葉を失った。
あの日見た暗いホームの端で、
列車の到着時刻より少し早くそこへ行ったわたしが帰ったあと、
彼女がひとりでぽつんと立っている姿が頭に浮かんだ。

まさか、だ。
でも、もうわたしの人生は動いていた。
「あのさ、急なことなんだけど、おれ、結婚することになったんだ」と言うと、
彼女も「ああ、そんなことだと思ってた。なんか、そんな気がしたんだ」と言った。

携帯電話なんてなかった時代もおもしろい。