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今日の日経から

1面の「米ロ首脳会談 戦略核弾頭を大幅削減 上限1500~1675で合意」。

ほらね、
せかいでいちばんえらいといわれるあめりかのだいとうりょうや、
ろしあのだいとうりょうは、
ひとをころすどうぐをいっぱいもっていたけど、
ふたりとも、とてもえらいひとだから、
そのかずをおたがいに1500から1675にへらそうとしている。

でも、凶器準備集合罪が適用できたら、
ふたりともただの犯罪人だ。

この不自然さをどうやったら解消できるのか――
人類の永遠のテーマにならずにすむといいけど……。

17面の「大機小機 大平さんが泣いている」。

そう、
「鈍牛」と呼ばれ、
どこかのケーハク総理のように、ワイシャツの襟の角と角がぴっちり合った着こなしなどできず、
庭に広げたデッキチェアの上で、ステテコ一枚で写真を撮らせるような総理だったけど、
大平さんはいつも自分の思うことを
ほんだって、こうじゃろがい――と、愚鈍に貫こうとしていた。

見てくれだけの人間は、吹かれて飛べばいい。

今日のイチオシは33面の「スポートピア」。
サッカーの水沼貴史さんの記事。

「子供に間違いのない環境を与えたいという親心は分かる。
が、母校法大でコーチをしている経験を踏まえると、
ある程度の年齢になったら選択に子供の意思を反映させることが大切だ。
自分で居場所を決めてきた選手はおしなべて意識が高いからである。
私の要求に対して、「無理」と簡単に弱音を吐かない。
できると思うから求めている、無理かどうか決めるのは指導する側、
という根本を理解してくれるのも、そういう選手たちだ。
 逆に「何となく大学に来た」という選手はあきらめが早い。修正能力も低い。
自分の物差しを妙に過信し、「ぶれない」という言葉が好きだったりする。
ぶれない自分をつくるために幹を太くするには周囲の助言に耳を傾けることが大事だが、
耳をふさぐことがぶれないことだと勘違いしていたりする」

いっぱい引用してごめんなさい。
でも、共感のしるしと受けとめて。

要は、人間の外枠と中身、どちらをぶれないようにしたいかの問題だと思う。

外枠をぶれさせたくない人間は、
外から入ってくる情報を受け入れたら、中身がぶれるのが怖いから、
外から入ってくる情報を拒絶して、
外枠のレベルで「ぶれない自分」をつくろうとする。

中身がぶれない人間でいたい人は、
ぶれない自分をつくりたいからこそ、外枠がぶれるのは、あえてよしとする。
人間だから、そんなものがぶれることくらい、あってあたりまえだと考える。

外枠がぶれると、ふだんはすきまがあって確かな感触のない中身とぶつかる。
そしたら、自分という人間の確かな感触がわかる。
そういうことが積み重なって、少しは自分のことがわかってくる。
その結果として、初めて、自分の中身、自分の輪郭が見えてくる。

支えて守る枠とは違い、
ぶつかって、削れて見えてくる輪郭だから、
風が吹いてもぶれない。

外枠をぶれさせまいとしている人は、
中身がそれにぶつかったときの、痛みや、かゆみや、くすぐったさや、恥ずかしさを知らないから、
硬直していて、内部はいつまでも空洞のまま、
ぶれない外枠を守るのは、おままごとの世界の生きかただ。

若い人なら、ときには故意に自分の外枠をぶれさせるくらいの蛮勇があってもいい。
そしたらきっと、中身のぶれない自分にたどりつけると思う。


by pivot_weston | 2009-07-07 23:16 | 日経新聞