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美談と自意識

末期がん患者さんの自尊心や自意識という話になると、
どうしても忘れられないできごとがある。

その周辺の、家族の自尊心や自意識もからむできごとだ。

妻がホスピスに入院していたころ、
患者に自宅にいたときと同じような時間を過ごさせたい、というこちらの思いと、
どうぞそうしてあげてください、という病院側の配慮がかみ合い、
自宅でボロンボロンと撫でていたギターを持ち込んで、
自宅にいたときのように夫婦で歌をうたい、楽しむ時間を過ごしていたら、
ある日、看護婦さんが「じゃあ、今日は(病棟の共用スペースの)ラウンジのほうでやってみませんか」
とおっしゃったのがきっかけになって、
その輪が家族の枠を超えて、病棟全体にひろがった。

12の病室がある病棟の主役のひとりだった妻とその家族が
ほかの主役の患者さんやそのご家族のみなさんと過ごした時間だ。

それがとてもいい時間だったので、
妻の死後2か月ほどして、
病院のほうから「ああいうことをまたやってくれませんか」という打診があった。

ボランティアだ。

それまで、俗に言う「ボランティア活動」なんてものを正面切ってやったことはなかったが、
あのホスピスでのいい時間は、妻が自分の人生をかけて遺してくれたものだという思いがあったので、
それを続け、伝え、広めていくことが、
遺された者として、妻に対してできること、やらなきゃいけないことのように思えた。

だから、またギターをもって病棟に通うようになった。

でも、同じような状況に直面したら、
おそらく誰もがガツーンと壁にぶち当たったような衝撃を覚えると思う。

それまでの「主役の家族」が「よそ者」になる。
「よそ者」としての立ち居振る舞いや配慮を求められるようになる。

2か月という期間は、この切り換えをするにはかなり短い。
でも、ホスピスでは、かなり短期間に「主役」たちが入れ替わる。
2か月たったら、もうこちらのことを知っている患者さんやご家族のかたはいなかった。
だから、切り換えを求められて戸惑っても、切り換えるしかない。

それでも、わたしにまだ、
場所がホスピスかどうかに関係なく、人前でギターを弾けるくらいの腕前があれば
状況は違っていたかもしれないが、わたしには、
「入院患者の家族」という前提でもなければ、とても人前でギターを弾けるような腕前はなかった。

2か月前まで「主役の家族」だったところへ「よそ者」として行き、
なにもできず、なにもせずに帰ってくる――
そういうことが、2度、3度と繰り返された。

いろいろなことを考えた。
ボランティアの極意は、
(相手の人が必要とするまで)空気のような存在になる勇気をもつことではないか、
などと考えたこともあった。

そんなときに出会ったのが、
6月4日付の「すごい子」に書いた「すごい子」だった。

自分が続け、伝えなければならないと思うものが、
妻の遺してくれたものだけではなくなった。
ひとりひとり、お会いする患者さんみんなが遺してくれたものになってきた。

そんな流れのなかで、ひとりの患者さんにお会いした。
わたしより少し上の世代の患者さんだ。
「上」とはいっても、「少し」だから、まだ若い。
妻同様、そんな若さでホスピスに入ることになった自分に対する無念さがあったが、
その患者さんの場合には、まだその無念さをご自分のなかで整理しきれていなかった。

知的なお仕事をしてこられたかただ。
状況が状況なら、とても紳士的な態度をとられる。
でも、いったんご自分の気にそむ世界から外れたものがあるのに気がつくと、
一転して、烈火のように感情を顕わになさる。

ホスピス・ケアでいう「受容」がまだなされていない段階だ。

そのかたからごらんになると、
体が自由に動き、能天気にギターを弾いて歌をうたっていたわたしなどは、
「嫉妬」や「憎悪」や「嫌悪」の対象でしかなかったかもしれない。

あるとき、そのかたがなにか言われたときに、
わたしが妻に伴走していたときの体験からひとこと感想を申し上げたら、
「あんたのような人間になにがわかる!」と一喝された。

無念、怒り、理不尽さを感じた。
でも、いいんだ、いいんだ、石ころだ、
ボランティアをやるには、石ころになる勇気をもたなきゃいけないんだ、
それでも続けることが妻の人生を大切にすることになるんだ――と自分に言い聞かせた。

ところが、なにかとなにかがかみ合ってしまったのだろう。
ご自分の気にそむところではとても紳士的な態度をとられるそのかたと
ボランティアのメンバーのひとりとの個人的な交流が
ひとつの美談としてひろがりだした。

12の病室がある病棟は、12の世界が同時並行して進行している空間だ。
どの世界がどの世界より尊いとか、軽んじてよいとかいうこともない。
でも、いつまでも「受容」の気配がうかがえないその患者さんの世界は、
ほかの患者さんたちの世界を押しのけ、押しつぶす勢いで増長していった。

美談というのは恐ろしい。
そこに関与しているみんなの目の色が変化してくる。
みんな、美談の心地よさに酔い、なにかを忘れている。

それでも、病院側はいつか、そうした状況を冷静に認識し、
ブレーキをかけてくれるものと思っていた。

でも、こういうこともある。いろんなことがあり、ものごとは前へ進んでいくのだろう――
その美談がひと区切りを迎えたときには、まだそう思えた。

ところが、その美談の世界はまだまだ増長していった。
12分の1の世界を体験した人間の気持ちなんて、誰もわかってくれないのか――
そう思いかけていたころ、今度はそんな美談の進行に疑問を呈したわたしに向かって、
「そんな、おまえがこのボランティアを始めたようなことを言うな!」
という罵声が飛んできた。

アホらし、だ。
こちらにも、譲るに譲れない自意識や自尊心というものがある。
それまではそれを12分の1に縮め、しかも、過去のものとして整理してきたつもりだったが、
そこまで言われたら、妻もわたしがキレるのを許してくれるだろうと思った。

ごめんな、と思った。
無念だった。
だが、もうキレて、楽にならせてもらった。

この間、わたしはいろんな人を見て、自分の心のなかものぞき見て、
みんな、自意識や自尊心のよりどころを求めて生きていて、
美談の種があると、誰もがその美談を奪い合うものだ――という印象を強く受けた。

だから、ホスピス・ケアの核心は自意識の保護や自意識への適切な対処にある
と考えている。


by pivot_weston | 2009-07-02 08:31 | ブログ