わたしはなにか勘違いされていた。
温泉地テルメ・チャティーシュに行く前の日には、
リュブリャーナ大学の教授に大統領府へつれていかれた。
ものものしい警備。
出てきた広報官に長々とスロベニア国内の観光地の説明を受け、
SLOVENIAの文字が入ったベースボールキャップをもらったあげく、
「明日は温泉に行くから海水パンツを買ってきて」と言われた。
??……だが、まあ、そう言うなら、と思い、
翌朝あわててデパートまで行ってスロベニア人用のデカパンを買ってきてプリ・ムラークで待っていたら、
テルメ・チャティーシュのスパの職員が迎えに来てくれ、
その車に乗っていったら、例の、
雑誌のモデルのような、あ、いや、それ以上かもしれないブロンドの美女、
ポローニャが施設の案内に出てきて、
施設をひとまわりしたところでそのポローニャと
豪華なレストランでふたりきりで鹿肉の料理とスロベニアワインを楽しみ、
「どう、感じは?」と訊かれて「Feel good!」と答え、
ケタケタと笑ってもらっていたら、
結局、買ったデカパンは使わないまま、
今度は「さ、お城へ行くわよ」と言う。
お城?――と思ったが、
もう自主的な行動はとっくに放棄している。
そのままポローニャの車とポリスの車に乗せられるままに乗せられていたら、
1軒、「うちは世界の最高級レストランにワインを納めている」と言う
ちょっと感じの悪い谷間のワイナリーに寄ったあと、
前方の丘の上にお城が見えてきた。
モクリッツァ城といったか。
もちろん、古い。
でも、おとぎ話に出てくるような、とんがり屋根の塔が立っていて、
きれいに整備されているところで、
どうやらホテルとしても使われているらしい。
わたしが行くと、
重厚感たっぷりのフロントのカウンターにいたおばさんがにこやかにあいさつしてくれ、
近所の青年なのだろうが、純朴そうなボーイさんがなかを案内してくれ、
改装中の中庭を見ながら3階だか4階だかの廊下を歩いていくと、
これまた重厚感たっぷりの扉の前に着いた。
そう、あのとんがり屋根の塔のてっぺんの部屋、
世が世なら、この地の王様が暮らしていた部屋だ。
純朴青年が扉をあけると、いきなりそこにグランドピアノが置いてあり、
4、5段、階段を上がると、そこはバレーボールの試合でもできそうな
大きな円形の部屋。
中央に大きなソファが並んでいて、
奥の窓際と右手の壁際に
会社のなかなら重役しか使えないような、これまた大きなデスクが置いてある。
窓から外を見ると、
はるかかなたの、霧でかすんだクロアチアのザグレブのほうまで
のどかな農村地帯がひろがっている。
へえ、昔の王様はこんなところに住んでいたんだ。
そう思ったところで、ずっと頭にあった疑問を案内役の純朴青年にぶつけてみた。
「で、おれ、なんでここにいるの?」
「あれ、今日はここにお泊まりなんですよ」
「えーーーーー! ここにーーーー! お、おれひとり?」
「そう。夕方にはディナーもご用意しておりますので、
6時になったらダイニングのほうへいらしてください」
と言う。
おいおい、なんだよそれ!?
と思ったが、こうなりゃ、なにがなんだろうと知ったことか。
かつて、王様が畑を耕す自国の民を見下ろしながら入っていたお風呂に入っても、
またまた日本ならワンルームの部屋がすっぽり入りそうな空間で
素っ裸でうろうろするのははなはだ居心地が悪かったが、
ま、いちおう体をきれいにしてそのディナーとやらに出かけていった。
古い、格式のある、きらびやかなダイニングでは、
ドイツのシーメンス社のお偉いさんたちが何人かで会食しながらひそひそやっている。
こちらは身ぎれいにしたとはいえ、
ラフなシャツ姿で来て、それ以外はあのデカパンしかもっていなかったのだから、
当然そのラフなシャツ姿だ。
なのに……
こちらのディナーのテーブルについて待っていると、
あとから来た、びしっとしたスーツ姿の紳士やその奥さんたちが
「はじめまして。わたしは前に駐エジプト大使をやっておりました……と申しまして」
とかなんとか言う。
ええい、知るか、なにもわからずにここに来たんだから、
おれは相手が誰だろうと、ここがどこだろうと、日本の気のいいおっさんで通すぞ、
と思うしかない。
まあ、でも、次から次へと出てくる料理もワインもみなおいしかったし、
さすがに王様の寝室は居心地が悪かったので、バレーボールルームのソファで寝たが、
王様の部屋も、あとになって思い返せば、歴史の香るなかなかいい空間だったし、
なにより、ホテルのおばさんや純朴ボーイくんや、
翌日、隣接するゴルフ場を案内してくれたゴルフ場の支配人が、
前駐エジプト大使や誰かも含めて、みんないっしょにいい時間づくりができる
いい人ばかりだったので、
なんの不満もないのだが、
いや、それにしても、予想もしないあの流れには驚いた。
ま、みんな、わたしが日本へ帰ってモクリッツァ城をPRすることを期待していたのだろう。
だから、ここにも書いておこ。
みなさん、スロベニアに行ったら、モクリッツァ城もよろしくね。
気のいいタクシー運転手ポリスが案内してくれますよ。