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時代は野村

プロ野球の東北楽天イーグルスの野村克也監督が
あと1勝で監督通算1500勝になるらしい。

上手に年をとってきたな、と思う。

よく、V9時代の巨人はおもしろくないくらい強かったと言われるが、
根っからのパ・リーグファンだったわたしにとっては、
野村さんのいた南海ホークスのほうが、さらにそれに輪をかけて、
おもしろくないくらい強かったような印象がある。

投手陣に杉浦、皆川、新山という豪華メンバーがそろっていて、
野手にも出色の韋駄天、広瀬がいた。
そして毎年、毎年、判で押したように
野村さんが打点王やホームラン王をとる。

どういうわけか、月見草のみならず、ひまわりのヘルメットまで
つや消ししたように光沢をなくしていた時代だった。

細い足首で軽快にホットコーナーを守る長嶋さんに比べると、
そのつやのないヘルメットをかぶってのっそりとバッターボックスに入り、
ドカーンとホームランを打つだけで、
勝ってむっつり、負けてむっつりの野村さんこそ、
パ・リーグがもっと人気を集めていれば、
大勢の「アンチ」を生んでいたと思われる存在だった。

ある年、パ・リーグが前後期制をとっていて、
前期に優勝した野村さんの南海ホークスが
プレーオフで後期に優勝した阪急ブレーブスをかる~く片づけ、
あれは「死んだふり」などと言われたときには、
この人は、力はあるけど、時代についてこられていないな、と思っていた。

だが、それは、まだ世のなかのことがなにもわかっていなかった
若僧の底の浅い見方というものだった。

時代は虚飾を排し、中身だけに目を向ける方向に向かっている。
で、野村さんも、実は虚飾にとらわれず、というか、
とらわれるような虚飾をまとわせてもらえず、
野球という中身だけに打ち込んできた人だった。

わが家に長女が生まれたころだから、もう27年前になるか。
当時入社してまもなかった編集プロダクションで、
『ログイン』というパソコン雑誌の取材をしていたカメラマンの人が
野村さんのお宅へ取材に行くと言いだした。

そう、まだわたしたちが手で原稿を書いていたその時代から、
野村さんはすでに、世に出てまもないパソコンを手に入れ、
ひとりで大好きな野球のデータの入力をしていたのだ。

時代についてこられないどころか、時代の先端を行っていたわけだ。

だけど、2年前に現役を引退していた当時の野村さんは
まだそういう面を評価されておらず、
この新米記者がそのカメラマンについてお宅にうかがっても、
あのつやなしヘルメットの姿そのままに、
暗い表情で、背なかを丸めて部屋の片隅のパソコンに向かっていて、
撮影中にいきなりどこからか出てきてカメラの位置やなにかを指図した
恐ろしくパワフルな女の人(失礼! まさか奥様とは思わなかった)
の印象ばかりが強く焼きついた取材となった。

でも、この新米記者が生意気にも、
それまでさんざんメディアに露出していた野村さんに対し、
緊張をほぐしてもらおうと思って、ひとこと、野球の話をしたときに、
きっとこちらをにらんだ野村さんの目は
そのパワフルさにも決して負けてはいなかった。

おまえみたいになにもわかっていない素人がなにを言う。
分を心得ろ――
その目はそう語りかけていた。

たぶん、いまでも、家庭での野村さんはあの当時のままなのだろう。
でも、その後の野村さんは、そうしてせっせと自分でパソコンに入力したデータをもとに、
監督になったチームを強くして、
古田選手のような大スターも育て、
著書も売れ、理想の上司像にも選ばれ、
テレビでにこやかに軽口もたたくようになった。
いまや、野球界のみならず、国民に愛される人気者のおじいちゃんだ。

これは、実はムース野村さんがとても現代的なセンスの持ち主だったからだろう。
時代はアカウンタビリティ(説明責任)を果たせる人を求めている。
野村さんはずっと、はた目にはどう映っていたかわからないが、
データを用いてものごとに筋を通すこと、つまり、アカウンタビリティを果たすことに
心を砕いてきた人だ。
時代はまだまだ野村さんに学ぶものがあると思う。


by pivot_weston | 2009-04-27 07:57 | スポーツ