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幸多い時間を

Kさんというかたがいる。

もう5年以上、
脳腫瘍を発症された奥さまの伴走をなさっている。

その病気との取り組みかたは、すさまじい。

全国をかけまわって
奥さまの病気の専門家の先生がたの話を聞き、
最先端の医学の研究論文を読んで、
奥さまの病気の現状をそれこそ分子レベルで把握しようとし、
それに対する処置の選択肢についても、
同様に分子レベルの考察を重ねたうえで選択を下そうとしている。

ときおりくださるお便りには、
その「解答」あるいは「正解」をめざす
気持ちの凝縮のしかたがよく表れている。

その「解答」や「正解」は、
単に自尊心の満足やなんらかの成功につながるだけのものではない。
「命」だ。
奥さまの命と、ご自分の命。
それが、そこにしかないと思えるからこその探究だと思う。
知りたい、生きたい、という思いのほかに、
怖い、というお気持ちもよく伝わってくる。

でも、そうした思いのほかに、
いただく文面からは、
ほのかな自重や自問の気配も伝わってくる。

そうして調査や考察を重ねながら、
日々ゆとりのある喜怒哀楽を繰り返していく世のなかに
うまくフィットして生きていくことの難しさが感じられる。

でも、今度いただいたお便りには、
「主治医は『もう腫瘍細胞はいないと思う』と言います」
とあった。

すごい! よかった!!
単にものすごい調査や考察を重ねた末にそこまで到達されただけでなく、
たえず自重や自問を求められているように感じられる状況にも耐えて、
そこまで到達されたことを「すごい!」と思う。

振り返られたところには、よれよれの道があるかもしれない、
と想像する。
でも、いいじゃないですか、
ぼくたちはもともと、子どものころには大なり小なりよれよれだったんだもの、
とも思う。

これからのKさんと奥さまの幸多い時間をお祈りしたい。


by pivot_weston | 2009-03-11 06:47 | 人物