人気ブログランキング | 話題のタグを見る

今週はアパートにこもりきりの、
野球ウイークだ。

よく、プロ野球選手は「人に夢を与える商売」だという。
そう、わたしももらった。

生まれてほどなく、まだわけのわからないうちは、
わたしも多くの子どもたちと同じように、
「Y」と「G」をひと文字にしたマークのついた帽子をかぶっていた。

でも、幼稚園に通うころになると、
「F」の文字の、ちょっとアンバランスで下半身の細いところが、
なんとなくしゃれて見えた。

新聞を見ると、
なんて読むのかわからなかったが、
「毒島」や「種茂」の文字もかっこよく見えた。
「尾崎」は、ま、文字以外の情報もあり、
別格だ。

でもまた、
小学校に入るころになると、
シーズン中の順位表が気になりだした。

いつもBの文字が下にあった。
「B」と「Bu」だ。
どちらもいつも下のほうにいた。
いや、気になりだしてひそかに応援していると、
春先にはいちばん上のほうに行ったりすることもあったが、
シーズンが深まると、毎年、いちばん下に移った。
ふたつそろって、だ。

「Bu」のほうは、よけいなものがついている分、
どこかまがまがしく、貧相に見え、
ででーんとひと文字だけの「B」のほうが
すっきりしていて、また、かっこよく見えた。

「阪急」の文字も、すわりがよくて、かっちりしていて、なんとなくよかった。
「衆樹」「本屋敷」「バルボン」「米田」の活字も気に入った。
「梶本」となると、「兄」や「弟」の文字までついていて、
さらによかった。

てなわけで、
毎年毎年、生の野球なんて目にすることもない田舎で、
ひそかに新聞を通して応援しだした。

厠にしゃがんでも、
そこに置いてある、ちぎった新聞紙から、
「阪急」や「B」の文字をさがすのが楽しみだった。

モノクロの新聞で見ると、
わが勇者たちは、なんとも斬新な、黒地に白の縦縞のユニフォームを着ていた。
写っていたのはあの「タンク」米田。

母親に頼んで、頼んで、
学校に着ていくワイシャツの背中に黒いキレで
「18」の文字を縫いつけてもらったら、
野球を知らない女の子には首をかしげられ、
野球を知っている男の上級生には「藤田か」と言われた。

アホか。

わたしのなかでは「18」は米田以外にいなかった。
いると知ったのは、YGに堀内が入ってからだ。

ともあれ、そうして応援しても応援しても、
毎年、最後には、「B」はいちばん下か、下から2番目に来た。

内心では、絶望していた。

わたしが通っていた小学校の区域には、町と呼ばれる地区が4つあった。
いま思えば、どこも田舎の農村だったが、
そこで生まれ、育った人間にとっては、
わが家のある中田井町(なかだいちょう)を除けば、どこも確かに「町」だった。

いちばん水源の池に近い中田井町はいちばん「田舎」だ。
よそは家のほうが田圃より多そうに見えるのに、
中田井町は家より田圃のほうが圧倒的に多い。
子どもの数もダントツに少ない。
運動会の町対抗リレーになると、いつも周回遅れのビリが定位置で、
ひどいときには、1学年ふたりの選手がいないからといって、
代わりに1年上の子が出たけど、それでも結果は同じだった。

毎年、順位表のビリに来る「B」には、だから親近感があったのかもしれない。
あきらめながらも、毎年毎年、ひそかにメラメラと闘志を燃やしながら応援していた。

そのうち、新聞で「西本幸雄」さんという人が
「B」の「監督」として出てくるようになった。
選手の名前に「スペンサー」という名前も加わった。

ん!? 近ごろなにか、新聞の扱いが違うぞ――そう思った。

やがて、テレビで見ていた東京六大学野球のリーグ戦で
ライトスタンドに大きなホームランをかっ飛ばした法政の「長池」という選手も、
わがブレーブスの戦列に加わった。

そうして劣等感に打ちひしがれた小学校時代も終わろうかというころ、
あれ、「阪急」の文字が順位表で落ちない。
あれ、夏になっても、あれ、秋になっても、落ちない。

え、まさか、夢が現実になるなんて、そんなこと――。
最後まで疑い深く、最後の最後に訪れるかもしれない衝撃に身構えていたが、
ほんとに、ほんとに、優勝した!!
ウソみたい。ホンマかいな。こんなことがあるんや。
夢はかなうもんなんや――そう思った。

ほんと、いま思えば、
あの阪急の初優勝があったから、
わたしもこれまで自分の夢をめざしてがんばってこられたのだと思う。

プロ野球選手のみなさん、
みなさんの仕事はすごい仕事だよ。

西本さん、いまでも感謝しておりまっせ。


by pivot_weston | 2009-03-06 14:39 | ブログ