農業に想う

不況下の雇用対策として、
農業が注目を集めているという。

ほんのかすかに、心が騒ぐ。

かつてはわたしも、
農業にあこがれていた時期があった。

子どものころには、
田んぼが遊び場だった。

忙しくなると、
いっしょに遊んでいる友だちが家の人に
田んぼの手伝いをさせられる。
すると、わたしもなにもすることがなくなるので、
いっしょにそのわきで手伝いをする。

幼いころには、
わが家にも猫の額ほどの田んぼがあった。
定規を当てての田植えも、
足をズボズボとめり込ませながらの草取りも、
鎌を使っての稲刈りも、
どれも、楽しかった。

だから、友だちの家の人に、
肥料の袋のあけかたや、ひもの結びかたを教わるのも楽しく、
その言葉の間や、声の響きや、肌に触れる風が心地よかった。

江戸時代には、うちも農家だったんだ。
傾いた日差しに田んぼが赤く染まるころには、
そう思いながら、明かりのついていない家に帰った。

ただ、農家は農家でも、自分の手を汚さない農家だった。
だから、いま、うちがわびしい思いをするのはしかたないんだ。
そう、自分には言い聞かせていた。

でも、土をいじる感覚は捨てがたく、
大学時代には園芸部に身を置いた。
花の名前はなにも知らず、花をつくるよりも、
草取りをするほうが好きな部員だった。

中野に住んでいたころにも、区民農園を借り、
四国に引っ越して戻ってからも、
山土を入れた畑で少し野菜をつくった。

でも、どこか、農家の仲間には入っていけなかった。
農地解放で小作から解放された人たちが、
まさか一代や二代でどんどん農地を売るのをよしとするとは
思わなかった。

それくらいなら、まだ手を汚していなかった農家のほうが
農業にかける思いはましだ、とも思った。

ざるのなかの砂利のように、
なにごとも、シャッフルされれば落ち着きがよくなることがある。
このさい、農業分野でも、思いきりシャッフルが起こればいいと思う。

哲学者の今道友信さんがこんなことを言っている。

昼間は明るいけど、太陽の光で頭の上にあるものがなにも見えなくなる。
夜は暗くなるけど、頭の上に燦然と輝く星の存在が見えてくる。

自分の上になにかを見ている人と見ていない人。
宇宙はそもそも暗いんだ。
明るさを求め、自分の下にしかものを見ようとしない人はつまらない。

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by pivot_weston | 2009-02-01 01:38 | ブログ