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昆虫採集と土

 夏休み――と聞くと、いつも反射的によみがえる感触がある。先の記事に書いた「小」の池があった神社の森。村の中心集落から離れたところに家があったわたしは、朝の6時半からのラジオ体操に行くときにはいつもこの森のなかを抜けて集会場まで行って上級生にハンコを押してもらっていたのだが、その森のなかを通るときの、ランニングシャツから出た肩に触れる空気の感触、半ズボンから出た脚に触れる空気の感触。どんなに暑い夏でも、朝6時すぎのその森のなかの空気の感触は、ひんやりしていて、得も言われず心地よく、20代になって雑誌の編集作業で初めて「森林浴」という言葉を目にしたときにも、フィトンチッドがなにかはよくわからなかったけど、その感触だけはすぐに、あゝ、あれか、やっぱりいいんだよな――と東京のビルの編集室にいても実感することができた。

 いまでは、台風で樹木が折れるかなにかして、杉一色の、単調で、頭の上は暗いけど、目の高さはただまっすぐなその幹がならぶだけで、すかすかの、なんとも味気ない森になってしまっているけど、形状も、光を通す度合いも、さまざまな木の葉が目の高さまで、やさしく、密に、また複雑に視界をさえぎっていた雑木林の時代には、1本1本の個性ある木の形状や(葉に触れるとかぶれるような)特性までが、人のはいり込む余地やルートなどを細かく、また複雑に規定していて、近くの村や町はおろか、遠くの都会や別の地方、さらには海をわたって外国まで視界がひろがった大人の目で見ると、なんともちっぽけな神社の森なのに、年中、何度はいり込んで、何回探検しても、まだ子どもの心に「神秘」のイメージと「興味」を残す豊かさがあった。

 そして、そこを探検していると、無数に出くわしたのが昆虫だ。雑木林の地面は、青々とする季節を過ぎて枝の先の持ち場を離れた、サイズも形状もさまざまで、青々としていたころとはまた違ったかたちにめくれたり、ゆがんだりした茶色い葉っぱで埋まり、その一枚をめくると、下には、年々歳々、春夏秋冬の経過を経てできあがっていく腐葉土を住みかとする大小の昆虫たちがうごめいていた。

 そう、昆虫は土と切っても切れない関係にある(ほんとうはわたしたち人間もそうなのだが)。だから、ひとつ思うことがある。子どもたちの「夏休みの宿題」だって、時代とともに進化していいはずだ。いまの時代は、ものが地球規模で動くようになったから、サプライチェーン(原料生産→仕入れ→製品製造→販売の流れ)を重視しようとする方向へ動いている。ピッカピカのかっこいいスマートフォンを売っている会社でも、アフリカで悪いことをしている人たちが、悪いことをするお金を稼ぐために売っているものを買って、悪いことをしている人たちに協力しているのなら、正直にそれを言いなさいよ、うそついても確かめるからね、で、悪い人たちに協力している会社やうそついた会社には、お金を出してくれる人たちが減ると思うよ――という規則がアメリカではできている。

 ま、子どもの「夏休みの宿題」の場合は、悪いこととはおよそ関係ないが、このように、せっかく「ものの流れ」を大切にするところまで世のなかの文明が進化してきたのなら、子どもたちの「昆虫採集」だって、集めた昆虫がどのような流れのなかで(どのような土のなかで)生きているのか、また、生きてきたのかまで含めてまとめたら、子どもの自然理解はただの平板なレベルでとどまるのではなく、深く、立体的に形成され、それだけ大人になってから生かせる道もより豊かにふくらんでいくだろう。

 で、いつも前置きがはなはだ長くて申し訳ないのだが、おすすめしたいのが、つくば市の農業環境技術研究所の「農業環境インベントリー展示館」。いま東京スカイツリーでやっている、夏休みのイベントとして子どもたちに絶大な人気のある「大昆虫展」(お、今日と明日が「撮影会」らしい)なども、ここが裏方さんでやっている。専門の研究者のおにいさんやおじさんたちの説明を聞き、そのおにいさんやおじさんたちが困るくらいの質問をして、昆虫をその生活背景まで含めて採集して学校に持っていけば、先生たちをうならせる宿題ができるかもしれない。

 あらためて書いておくけど、土のなかで生きているのは昆虫だけではないということ。わたしたち人間も土のなかでできたものを食べて生きていて、いま世界中で大切なものとして認識され、奪い合いが起こっている「水」なども、土を通してできているということ。日本の水はおいしい、日本の食べ物はおいしいと言っても、それは土がいいからそうなっているだけで、おいしい水やおいしい食べ物ができる土を守っていかないと、いくら都会やどこかにピッカピカのおしゃれなレストランができても、おいしい飲み物や食べ物はなくなるということ。国土を守ることは大切だと言っても、武器やなにかで守るだけでは粗末な国土しか残らないということ。そう思うから、国会に手伝いに行っていたときには、いろんな省庁の人たちに声をかけて「土の勉強会」をしようとしたのに、文部科学省の人は「なんでわたしたちが土をやらなきゃいけないかわからない」だって。結局は彼らも勉強会に参加してくれたのだけど、よりにもよって文部科学省の人の口から出た言葉だっただけに、あの第一声はショックだったなあ。

 でも、秋篠宮殿下などは、ちゃんとそのあたりのことがおわかりになっているのだろう。今週、7月29日にわざわざご自身で「土壌モノリス(土壌標本)が見たい」とご希望なさって、先に紹介した農業環境インベントリー展示館をご視察に来られたらしい。最近は、テレビを見ていると「日本はすごい」の連呼が耳につくが、「もてなし」や「産業」はすべて末端、うわべのこと。いちばん根にある「日本のよさ」を認識することがそういうよさを守るうえでも不可欠だと思う。


by pivot_weston | 2014-08-02 07:08 | ブログ