黄昏色の欧州

 自分でも信じられない「還暦」を迎えてからの初めての書き込みだ。最近、長く生きてくるとおもしろいことがあるものだ、と思うことがある。

 わたしたちはある程度まで欧州文化のなかで生きてきた。中学校や高校で世界史を教えられて、その文化が世界にひろがってきたプロセスは念頭に入っている。でも、無意識のうちに、その歴史の流れはこれからもこれまでの延長線上で続いていくのだろうと思っていた。それが、いや、違う、やはりこの世には作用反作用の法則がはたらいているんだ、因果応報というのはあるんだ、わたしたちは一時的に地面から飛び上がることができても、やはり最終的には重力がはたらいて差し引きゼロになるような原理がはたらいているんだ、と思えるような現象が起きている。

 先日、国連UNHCR協会から電話がかかってきた。わたしのように貧乏で新幹線自殺が他人事とは思えない者にも、わざわざ貴重な時間をさいて寄付依頼の電話をかけてくるのだから、欧州へのアフリカや中東からの難民流入はそうとう深刻な事態にいたっているのだろう。それなら、貧乏かどうかにかかわらず、同じ時空に肉体と心を授かった仲間として、互いに助け合うことに異存はない。でも、引っかかったから、電話をかけてきた若者に対して、ついこんなことを言ってしまった。

「でも、考えてみな。欧州は大変だ、ドイツはやさしいから難民を受け入れているなんて、欧州は人道的な意識から難民を受け入れているように言っているけど、そもそも、いまから500年か600年前、欧州の大航海時代のアフリカの人たちはどういう思いをした? いきなり白い人間が鉄砲やなにかを持って現れて、受け入れるとか、受け入れないとか言えたかい? そりゃあ、アフリカでも部族同士の争いみたいなものはあっただろうけど、いきなり自由を奪われて、奴隷にまでされたんだよ。そのときと逆の人の流れが、いま起きているんだ。しかも、アフリカや中東の人は欧州の人を奴隷にするぞなどとはひとことも言っていないだろう。アフリカや中東の人たちがふるさとで暮らせなくなった理由だって、すべて欧州や米国の人がつくったことだよ。それなのに、やさしいから受け入れる、人道的だから受け入れるなんて、そんなエシックスロンダリング(倫理洗浄)の極みのようなことを言っている。助け合うのはいいけど、そこのところはちゃんと押さえておいてくれないと困るよ」

 おそらく「人助けがしたい」とかなんとか思ってがんばって働いている若者なのだろう。ふとそう思ったから、ついでに「人助けの仕事だって、底辺で納税や寄付をする人たちがいるからできることなんだよ」ということも、ひとくさりやりそうになったが、そこまでやるのはかわいそうかと思い、思いとどまった。

 でも、欧州の人たちが大航海時代以来、世界にひろめてきた「暴力的侵略」→「支配」→「法や規制による縛り」という、貧困な欧州の生活環境をカバーするためのビジネスモデルは、武器やなにかをつくり、人の命を金に置き換えることをいとわない人間社会の悪のコンポーネントの存在のために明らかに破綻しつつある。いまの欧州への難民流入はこれまでの欧州・米国主導のビジネスモデルが持続不可能なものであることを証明しているような現象であり、わたしたちがより長く人類の生存を確保していこうと思えば、新しいビジネスモデルを考え出さなければならないときが来ているのだと思う。世界史の年表に新たな転換点が訪れるときまで生きてこられたことを感慨深く思う。

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# by pivot_weston | 2015-11-10 09:46 | ブログ

土づくりのコツ・知恵を教えて

 国連食糧農業機関(FAO)のTECA(小規模農業生産者の技術とコツ)部門が「なにか世界の人に教えてあげるとよさそうな、持続可能な農業(すなわち、持続可能な未来)のための土づくりのコツや知恵があったら動画で教えて」と言っています。

 2015年9月15日に募集を始めたもので、締め切りは2015年10月12日月曜日の12:00(中央ヨーロッパ夏時間)です。

 受け付けてもらえる動画の長さは2.5~5分。土づくりのコツをわかりやすくステップバイステップ方式で説明したもので、使用できる言語は英語かフランス語かスペイン語(日本語を使用する場合は字幕か音声でその3つの言語のどれかへの翻訳を付けなければなりません)。

 動画のファイル形式は.MOV、.MPEG4、.MP4、.AVI、.WMVと、一般的なものみたいですが、タイトル画面を付けるときは、そのタイトル画面と本編との間に1秒間の「ブラック」を挿入しなければならないとか、動画に映り込んだ人には必ず全員に承諾をもらっておき、子どもが映り込んだときは、親に承諾をもらっておかなければならないとか、いろいろと細かい規定がありますので、よし、応募してみるか、うちのやりかたを世界のみんなに教えてあげようか、とお考えのかたは、必ずTECAのページで応募要領を厳密に確認しておいてください(TECAの応募要領のページには、“How to prune a mango tree”と“How to defeat the mealy bug of papaya tree”というサンプル動画へのリンクもあるので、これをご覧になったら、求められている動画がどういうものか、はは~んとおわかりになるかもしれません(あくまで今回の募集は「土づくりのコツ」に関するものであることはくれぐれもお忘れないように))。

 賞金も出るみたいです。1等賞に選ばれたら3000米ドル、2等賞は2000米ドル、3等賞は1000米ドルで、応募者全員に「book/publication」の副賞もあるみたいです。

 うん、これはいい、世界の農家のためになる、と評価された作品はFAOのソーシャルメディアやFAOパートナーのチャンネルを通して紹介されるばかりか、FAOのTECAと共同で、もっと正式に世界の農家に伝えられるマテリアルに開発する機会も与えられるみたいです。

 熊本県では、異色の経歴をお持ちの蒲島郁夫知事の肝煎りで「地下水と土を育む農業推進条例」が3月に制定されているみたいですが、こういうものも英語に訳してFAOあたりで紹介してもらえないものか、などと思っています。

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# by pivot_weston | 2015-09-19 06:25 | ブログ

甘えの恐ろしさ

 今日は防災の日らしいが、もう3.11の記憶はこの国の一部から完全に消し去られたのだろうか。あの地震で何より思い知らされたのは、わたしたちが地球のことで勉強したことはすべて現実に起こると考えなければならない、ということだった。なのに、もう原発は再稼働されたのだという。

 簡単な話(おそらく、中学生や高校生のなかには、わかっている人も少なくないのではあるまいか)。まず、人体に有害な影響をおよぼすとされる原子力発電の産物、放射性物質の放射性の半減期をWikipediaの表で見てみる。次に、よく中学校や高校の教科書のなかで見かける「1万年前の日本」とか「2万年前の日本」とかいった地図を見てみる(厳密に確定しているものではなく、いろいろ違いがあるので、ここではあえて特定の地図へのリンクは設けない)。

 大雑把に考えて、前記の放射性物質の放射性がまだ十分に残っている期間内に、その地図のなかに表現されているような地殻変動が起こるということ(もちろん、日本列島の形状の変化には海面の下降や上昇も関係しているが)。日本列島の周辺で地殻変動を引き起こす要因としては、太平洋の真ん中のマグマの噴き出し口であるハワイから湧き出したマグマが太平洋の海底の下を動いてきて、ユーラシア大陸の下(切っ先は東京の下)へもぐりこむ現象がいちばん大きいものになるのだろうか(最近は小笠原諸島の近くの西之島にも海面上に噴き出し口が開いたので、そこからの押し出し現象も視野に入ってくるのかもしれないが)。この現象の規模は、ハワイからカムチャツカ半島まで、海底にえんえんと続いている「昔のハワイ」の死火山の列「天皇海山列」を見るとわかりやすい。北部太平洋西部では、ハワイがカムチャツカまでじわじわと動いてくるくらいの規模の地殻変動が起きていて、その変動がいまも変わりなく続いている。

 最近は見方が変わってきているのかもしれないが、大陸と島はただ大きさで呼び方を変えているだけでなく、そもそも構造からして異なる別の陸塊であり、大陸のほうは上記のような地殻変動が起きても、ゆがんだりひしゃげたりすることはあっても沈むことはない。しかし、島のほうは永続的に存在が保証されているわけではない、地殻変動の成り行きによっては全体が海面下に沈んでしまう可能性もある陸塊だ。

 それなのに、直下に活断層があるとかないとか、耐震構造がどうだとか、ずいぶんスケールの小さいことを基準に、前記の半減期の表に示されているような期間にわたって残る放射性物質を生み出す原子力発電を再開するかどうかを決めている。わたしたちが生きている地球で起きている地殻変動はまったく容赦のないもので、遺伝子として長生きをしたければ、それを基準に賢い生き方を見つけなければならないということを、あの3.11は何より強烈に教えてくれたような気がするのに、またぞろ、地場産業がどうとかこうとか、まるで、自分ではどうすることもできない恐ろしい状況に直面した人が起こすような「意図的視野狭窄」とでも言える状態に自ら進んで陥り、客観的に見れば、将来の子孫のことなどどうでもよい、自分たちさえよければそれでよいと言うような生き方を選択しようとしている(現実的には、これまでの原発の運転ですでに生じている放射性廃棄物の保管だけでも手に余る作業で、地下何キロまで穴を掘って埋めたところで、そんなものをひっくり返すのは、地球からすると何でもないことだと思うのに)。

 まあ、いま生きているわたしたちが生きているうちは、それでもこれが「現実的な判断」として通るのかもしれない。しかし、地球の一生のスケール、あるいは、そこまで行かなくても何千年、何万年のスケールで見ると、それは(たとえまだ海面上に出ている部分があったとしても)間違いなくこの列島の陸塊を誰も住めないところにする可能性のある、ひどく非現実的な国を亡ぼす判断だと思う。

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# by pivot_weston | 2015-09-01 15:47 | ブログ

きわまりゆく世相

 70年ここにきわまれり――の観がある。

 70年前、この国が連合軍の占領下に置かれたのは、明治以降、その連合軍の主力を成していた欧米諸国のマインドコントロールにかかり(かかりだしたのは織田信長や豊臣秀吉の頃だと思うが)、「列強」などという、別に真似しなくてもいい、貧しい国が遠隔地に食べていくための土地を確保するためのスタイルを真似ようとして、まんまと、彼らにおだてられ、利用され、彼らの手のひらで踊らされたあげくに、それとなく仕向けられた争いに負けてしかたなくだった。しかし、またいつか独立した国へ――と思った人は、当然、少なくなかったと思う。

 旧満鉄時代に志願して満蒙国境へ赴き、敗戦後しばらく現在のカザフスタンのカラガンダの炭田に抑留されていた父は、戦争のことも、抑留時代のことも、ほとんど何も語らなかった。父の長兄の伯父もイルクーツクあたりに抑留されていたと聞く。次兄の伯父は、インドネシアのアンボイナ島から飛び立った直後に撃墜されたので、戦後10年生まれのわたしは、遺影とは毎日顔を合わせていたが、実際に会ったことはない。祖父も戦争中は近くの飛行場(わたしが生まれた頃にはすでに廃墟になっていた)に徴用されていた。

 子どものころには、呆然とした思いが生き残った3人の背中からにじみ出していた。それを見ていたわたしも、普及しだしたばかりのテレビで米国の番組ばかりを見せられて、それはそれで楽しみながらも、頭の上を沖縄だかベトナムだかへ向かって飛んでいく飛行機の爆音を聞かされると、いつも不愉快な思いがしていた。たとえソ連の助けがあったにせよ、そんな米国を倒して自国を守ったベトナムの人たちはすごい人たちだ、といまでも思っている。米国の敗戦が決まった1975年には、日本にもいつかあんなときが来るはずだと思ったものだ。

 ところが、近頃、世の中から聞こえてくることを耳にしていると、いまのこの国は、独立へ向かうどころか、自らこの70年の占領体制をいよいよ決定的で動かぬものにしようとしているように見える。違憲だ、改憲だと言っているが、判断の軸にするこの国の基本法が日本国憲法でないことは、この間の経緯を見ていると、よくわかる。憲法に修正の必要があるというのが国民の総意なら修正すればいいと思うが、実質的なこの国の基本法になっている日米安全保障条約に合わせて修正しようというのなら、「(憲法が)他国から押しつけられたものだから改正する」というのは、まったく筋が通らない。日米安保条約を柱としてこの国のあらゆる法律ががっちりとアラインされてしまったら、自分たちのことは自分たちで決めるなんていうのは夢のまた夢で、自国の決まりのすべてを他国の都合に委ねることになる。

 明らかに米国の一部の、自分たちの旧態依然とした世界観を金の力や兵器の力でごまかそうとしている完全に時代遅れの人たちの戦略の間違いだ。最近のウクライナなどの例でもわかるように、米国は戦後の冷戦下で自国の味方につけておきたい他国の中に大勢のスパイやマインドコントロールにかけた人材を放ち、彼らにいい思いをさせることでさも米国に追随することがいいことであるかのように思い込ませてきた(かつては、リビアのカダフィやアルカイーダのオサマ・ビン・ラディンなどもそういう思いをさせられたひとりだった)。しかし、そんなことをしても自分たちの国がいい国になることも、永遠に栄える国になることもないのは、いまのあの国の状況を見ればよくわかる。

 最近も大統領自らがほんとうにわが身が危険な局面に陥る前に危険を見越して先にパンパンと武力行使をする警官の姿を見て、「こんなことでは、この国は先進国と言えるかどうか」と言って顔を曇らせていたように、残念ながら、もうあの国は、一面では「後進国」と位置付けてもいい状態になっている。そもそも、あの国が欧米の都合のよい用語ではなく、字義どおりの意味で「先進国」と言えた時代など、なかったのかもしれない。ただ人類が麻薬中毒のように物質文明におぼれた20世紀後半の異様な時代に最もgreedyな姿勢をさらしたというだけで、1600年代にあれだけ豊かだった国土を、カリフォルニアも水が涸れ、大平原からも水が涸れるまでに疲弊させてきたこれまでの国家運営のありかたは、たとえその前の、欧州人という貧しい出自があったからだと言っても、弁解できるものでも、取り返せるものでもない。

 あの国があんな状態になってしまったのは、時代の変化などを的確に伝える友人と言える存在がなかったからだろう。ただ一部の国民が巨万の富をがつがつと集めて豊かさを装っても、そんな国を「豊かな国」とは言わない。そんな国に人類の未来も、日本の未来もあるわけがない。そんな国による占領体制を固めるようなことをしたら、客観的に見ると、欧米の「列強」マインドコントロール下の悲しい存在だったとはいえ、70年前に生きられる時間を奪われた人たちも、わたしたちの犠牲は何だったのかと思うしかないだろう。独立国として、いまいちばんにすべきことは、改憲よりも何よりも、よけいな条約を解消して、ひとつの独立国としての素朴な輪郭を取り戻すことだと思う。憲法をどうするか、軍備をどうするかなんてことは、そのあとで考えればいい。

 といって、別に、昔のように米国と争う必要もない。となりの家と仲たがいせず、ふつうにやっていきましょうと言うだけだ。どちらの国も独立国として、ふつうにつきあっていけばよい。米国は、単独の国家であって単独の国家でない一面も持ち合わせている。現在も、これまでも、世界中からいろんな国籍の人が集まり、その集成として単独の国家らしきものを形成している。前から書いているように、ホワイトハウス周辺やハーバード、MIT、スタンフォードなどの論文作成者には、中国人、韓国人が大勢いる。でも、日本人は、仲がいいと強調しているほどには見かけない。おかしな優越感の温床になっている条約を解消すれば、そういう面にも自然な競争心が芽生えて、バランスがとれてくるような気がする。

 仮定の話だが、独立して、正常に周囲に意識がはたらいていたら、4年前の福島第一原発の事故も起きていなかったかもしれない。独立していたら、あの事故で大きな損失を被った東芝のような企業の粉飾経理に対して、「体質が古い」などというまやかしの批判も起こらなかったかもしれない。

 以前、近所で料理屋をやっている元台湾陸軍のコックさんに、「日本の失敗は米国を追い出さなかったことだよ。追い出せばいいんだ。おれたちは追い出したぞ」と言われたことがある。やはり近所の連さんも、もうかれこれ半世紀、自国の独立を願って新聞を出しつづけている。独立というのは、どの国にとってもたやすいことではない。でも、目指すとしたら、やはり人間である以上、まず独立ではあるまいか。

 そういえば、謝ることが「卑屈」につながるという意見もあるらしい。でも、謝ることは自分に誇りがあるからできることであり、ふだん駅の雑踏を歩いたこともない人の意見だからしかたがないのかもしれないが、駅の雑踏で体がぶつかっても謝らない人の姿などを見ると、別に外国人でなくても、ちょっとなあ、と思い、つい、あちこちで「すいみません」という言葉が飛び交っていた昔の日本の光景を思い出してしまう。ひとりのおじさんの素朴な感覚としては、隷属の卑屈さのほうがいやだ。せめて黙して語らなかった3人の子や孫や甥として、自分を隷属の時代を生きたひとりのままにはしたくないのだが。

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# by pivot_weston | 2015-08-16 12:42 | ブログ

大昆虫展、ふたたび

 昨日は、前に「吟品」をやっていたチンさんが、いつのまにか保育園を終えて小学校入学を控えた、かつて「乳児一過性低ガンマグロブリン血症」や何かで走りまわりをさせられたヨシくんをつれて日本に帰っていたので、去年のこの時期にも「昆虫採集と土」で開催をお知らせした東京スカイツリーの大昆虫展に行ってきた。

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 スカイツリーのほうは、真下から見上げると、おお、やはりなかなかのものだなと思わされたが、「上り」希望者のかたがたが建物の中にびっしりと列をつくっていたので、早々にそのとなりの建物「ソラマチ」のほうへ足を向け、その5階のイベントスペースで行われている大昆虫展のほうへ行った(今度小学生になる人は、途中で「妖怪ウォッチ」のゲームに引っかかり、言葉も通じないのに、同じ年頃の子どもたちと、バチバチと視線を交わしながら、それでいて、列の順番はおとなしく守るという、いまから半世紀以上前に、ひとたび目と目が合ったら「血を見る」ような野蛮な雰囲気の中で少年時代を過ごしたおじいさんには、なんとも理解のできない行儀のよさを保ちながら、代わり番こで、ほおっておくとエンドレスになりそうな物腰で、そのゲームに興じていたが)。

 とまれ、今年の「大昆虫展」は、後援団体のひとつにわたしも名前をつらねているので、「知らん」というわけにもいかず、あとで、大のカブトムシマニアと聞く俳優の哀川翔さんが何やらしゃべっている大画面テレビのわきを通っておずおずと中に足を踏み入れてみると、いきなり順路を母親といっしょに歩いていた坊やのところへスタッフルームから監修者の吉村先生が飛んできて、床に膝をついてやさしく昆虫の説明をしているシーンにぶつかった。

 今年は名称も「国際土壌年2015記念『大昆虫展』in東京スカイツリータウン」というくらいで、わたしたちの活動との関係もより深まっているから、当然、「国際土壌年コーナー」も設けられていて、世界中でわたしたちの命を養ってくれている土の標本「モノリス」も展示されている(近頃では、北海道や九州や鳥取などでも、土の意味、あるいは土とのつきあいかたを見直そうという動きが芽生えていると聞くので、今度はそういうところで、もっとプロフェッショナルな土の展示会が行われてもいい。なんといっても、ワインスノッブたちがこぞって「テロワール」という言葉を口にする時代なのだから、野菜や何かについてもその「テロワール」、つまり「土」が語られていいわけで、しかもその場合は、単に「おいしいものができる土」だけでなく、人間が長く生きていくためには、また少し違った土への手のかけかたがあり、そういう視点も含めた土の話も語られるようになると、よく言う「持続可能な」環境対策というものも実質を伴ってくるわけだ)。

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 この「国際土壌年コーナー」の手前のフェンスで囲まれた空間の前には、スタッフがどこか強張った表情で立っていて、なんだろうなと思ったが、ここは「カブトムシ手づかみ体験コーナー」になっていて、おそらく、ちゃんと注意をしていないと、ツノの折れたカブトムシや何かが続出したからだろうが、そのスタッフのおにいさんやおねえさんが次から次へとやってくる子どもたちに「ね、このツノのあるオスのほうは、ここを持てばいい」「ほら、ツノのないメスのほうは、ここをこう撫でてやると前へ進むんだよ」と、これまたやさしく説明をしてくれている。おや、何本も人工的に立てられた木の幹の下のほうを見ると、観覧者の子どもや大人の目があまり届かないところで、せっせと重なり、遺伝子の生命を長らえる営みに励もうとしているメスとオスもいて、ここはいい。先ほどまで「妖怪ウォッチ」に夢中になっていた人も、いつのまにか恐る恐る「生カブトムシ」に手を伸ばし、スタッフのおにいさんが教えてくれた要領を実践・実証していた。

 もっとも、そこを抜けるとまたゲーム。セガかどこか、メーカーの人が用意してくれた「妖怪ウォッチ」の昆虫展バージョンのように思えるそのゲーム機の横に並んで、またまったく知らない同じ年頃の子どもたちに混ざって、半世紀以上前の少年には何とも不思議なアイコンタクトで2ラウンド、3ラウンドとゲームをやっていた。

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 ちなみに、この写真は会場の入口のかたわらに置かれていたオブジェ。ほほう、でかいなあ、と単純に感心していたら、「焼き物」という表示が目に入り、ついスマホのシャッターを切った。

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# by pivot_weston | 2015-07-30 05:36 | ブログ

春梅――結局は言葉の魅力か

 久しぶりに、ジェイムズ・ディーンになった。

 いや、大学生のころ、雑誌か何かに「映画館から出てきた人は、みな映画の主人公になったような歩きかたをしている」というようなことを書いてあるのを読んで共感したことがあり、それと同じような現象が、40年ほどの歳月を経て、久しぶりに起こったということを言いたいのだが(たしかに、40年ほど前には、『エデンの東』や『理由なき反抗』を見たあとで赤いジャンパーをさがしに行ったし、ロバート・レッドフォードの『ホットロック』のエンディングで逃げるレッドフォードが「逃げる人のお尻」をみごとに表現しているのを見たときは、あれはどこにどう気を配ったらできる表現なのだろうと思い、お尻に意識を集中しながら歩いたものだが)。

 5月の末に台湾で『春梅』(はる)というドラマをやっていることをLINEで教えてもらった。毎週月曜日から金曜日まで、1日1集、計54集で、この7月21日に最終回を迎えた。日本統治時代の1925年から1959年まで、おもに旧台南州北門庄や台南の町を舞台に男女6人の人生が絡み合って展開していく(撮影場所には、海辺に山のあるシーンもあったので、エンドロールから判断すると、台南とは反対側の宜蘭なども利用されていたのだろうが)。

 まあ、わがままな視聴者から見ると、テレビドラマということで予想されていたこととはいえ、ひと口に言って「粗い」面は随所にあった。日本人「役」の役者さんの日本語のセリフが、ちょっと、いくら台湾に渡ってあまり日本語を使わなくなっていた人の言葉でも、そこまではならんやろ、と言いたくなるものになっていたことは前にも書いたが(おもしろいことに、こちらは日本語ネイティブで、端々だけでも何を言っているかを理解できるせいか、この点は見ているうちにほとんど気にならなくなったが)、蔗畑は蔗畑でも、明らかに春梅さんのご両親が亡くなった蔗畑とは違うと思われる場所で線香をあげたりしているのを見ると、なんぼテレビドラマかて、もちっと映像の連続性や一貫性に気を遣わないかんやろ、と思ってしまった(おそらく、「線香」のシーンでは、その連続性や一貫性を犠牲にしてもあの「広々感」を出したかったのだろうが)。

 ところが、ところが、である。あちこちに粗さが見えて、林先生の家の前の、どうもひた隠しにしようとしていたように思える舗装道路と思える道がワンカットだけちらりと画面にのぞいたり、はなはだ共感の持てる飲んだくれの大金さんの着ている服に、まるでオフィス街のサラリーマンのワイシャツのようにきれいに折り目がついているのに気づいたりするのに、気持ちは逆に、どんどん、どんどん引き込まれていく。毎日、「線上看」に動画がアップされるのは日本時間の午後11時ごろ。だから、何日かその時刻にアップされた動画を見ているうちに、あ、もうアップされたかな、いや、まだかな、と、こちらの生活もその時刻を中心に回転していくようになり、さらには、各回の動画を見るときの集中の度合いも日増しに高まってきて、見終わったときには、もう頭がもぬけの殻状態になってとても深夜の仕事に集中できる状態ではなくなったものだから、しかたなくついFacebookなどで「春梅」を検索したりするようになったし、「線上看」の動画にはランダムにCMが挿入されていたが、ドラマの流れのなかでいきなり挿入されるそのCMで西洋人がねちゃねちゃと笑っているのが見えたりすると、つい「このバカづら! とっとと消えろ!」と悪態をつきたくなったほどだった。

 なんだろう。主役の林春梅さんを演じた子ども時代の林建萱さんや成人後の林予晞さんになんとも言えない魅力があったのは明らか(林予晞さんのほうは、Facebookをたどっていくと、ふぅん、うちの次女と同い年なのになあ、と思わされるものも見えてくる(まあ、次女も同じようなものなのを、親が知らないだけなのだろうが))。「あひゃあ」(兄さん)の韓宜邦さんや「阿泰」の楊子儀さん、「剛」の邱凱偉さん、それに、昔から日本のドラマでもおなじみの「悪役特高」でありながら、単なる「悪役」の枠には陥らず、背後に「心の問題」があることを演じていた李沛旭さんも、みな若いのによくこれだけのもの、あるいは時代感が表現できるなと感心させられたからかもしれない(玉音放送のあれだけ長い音源がいまだに残っていることを教えられたことも驚きだったが)。

 でも、最後のほうになって、なにかでその若い出演者たちが現代の台湾の言葉、つまり北京語で話す動画を見たときに、あら!?――と、なんだかはしごを外されたような気分になり、そのとき、わたしの感じているものの少なからぬ部分が劇中の言葉、つまり戦後になって中国の言葉を押しつけられる前の台湾の言葉に関係しているではないかと気づかされた。

 何年か前、渋谷の駅の近くの台語を教えてくれるところへ通っていたころ、若い宜蘭出身の女の先生がときどきテキストを読み間違えていた。テキストには台語が書かれているのに、先生はそれを無意識のうちに、頭のなかに優先的に位置していると思しき北京語で読み、それでも、こちらが指摘するまでそれに気づかない。どうやら、いまの台湾では、台語はかなり分が悪い立場に置かれているのだなと思わされたものだが、その分の悪い言葉のセリフの世界に、こちらはどっぷりと引き込まれていたのかもしれない。台語を習ったといってもほとんど解することのできないわたしが言ってはいけないのかもしれないが、それでも、どういうわけか、あの言葉には、いや、広く一般に、人が本や何かによる教育などではなく、暮らしの中で身につける言葉には、強い強い、人をひきつける魅力があるような気がする。今回のドラマに出演した若い役者さんたちも、台語の特訓を受けなければならなかったみたいだが、それでなにかを感じたとしたら、ぜひその魅力を残す努力をしていってもらいたいものだと思う。

 あ、そういや、どこかに、誰か若い人が「うちのおじいさんとおばあさんが夢中になって見ている」というようなことを書き込んでいたか。そう、その昔、世界中に無数にいた「映画鑑賞後のジェイムズ・ディーン」のひとりだったこのわたしも、気がつけば「うちのおじいさん」になっている。もしかすると、この共感は世代的なものでもあったのかもしれない(とはいっても、わたしたち戦後のテレビ第一世代は「戦争」やなにかをじかに体験しているわけではなく、なにもかもdistantlyに感じつつ、そこから不変・普遍的なabstractを抽出していくしかないのだが)。

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# by pivot_weston | 2015-07-23 02:53 | ブログ

おじさんたちの耕作放棄地

 関東平野某所。学問の畑や、芸術の畑や、いろんな畑で活躍してきたおじさんたちが集まって文字どおりの畑をやっているところがある。

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 いまはやりの「耕作放棄地」。というか、かつてはランニングシャツ姿の腕白少年たちが元気に走りまわっていたと思しき豪壮な二階建ての住宅ごと放棄されたところを、その多彩な分野の先生がたのおひとりが買い取って、そこへ仲間の先生がたも「おれも」「おれも」と集まってきて、ふたたびおっとりとした生気がよみがえっている丘陵地の一角。

 サトイモ、トマト、ソバ、ブルーベリー、トウモロコシ、ナス、カボチャ……「あれもやりたい」「これもつくりたい」で集まってきたおじさんたちの畑は、面積のわりに作目が豊富で、しかも、あ、ここにちょっとあまったところがあるから、あの種も蒔いちゃえ……式に、分画が人間味あふれるテキトーさで細かく入り乱れているところが、またおもしろい。

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 久しぶりに続いた長雨が、今度の週末はどうも途切れそうだというので、「おれも」「おれも」のさらにその外側からのぞきに行かせてもらっているこのおじさんも、次女と孫を連れておじゃまさせてもらったが、7月12日は父の25回目の命日。朝、東京駅の八重洲口で高速バスに乗るときに、わっ、25年前も、喪服に身をつつんで「今日は人類史上最高に暑い日じゃないの」と思わされた、とんでもなく暑い日だったが……と思ったその予感そのままに、みごとに記憶が再現された一日だった。

 ブルーベリーの低木のまわりで這いつくばって草を取っていると、誰かが背中をたいまつであぶっているのではないかと思えるくらい暑い。お昼ごはんのときにも、いまは引退して好々爺然としているえらい先生がたに勧められる固形物の食品を食べる気にならず、昔の「ワタナベのジュースの素」の話などもしながら糖分たっぷりのジュースばかり飲んでいたが、ま、まだ保育園の孫がひとりで電気ノコギリのスイッチを入れて、「あっ、こらっ!」と驚かせてくれたり、好々爺先生がたに石臼でソバひきの体験もさせてもらったりしながら、随所にわたしの同年代のころの内面の動きを思い出させくれるいたずらをしていたし、帰りには、古河のいとこのうちにも寄って、なんとも見晴らしのいい涼しい部屋で一服させてもらったので、よしとしよう。ほかの若い仲間たちに予定されていたブルーベリー1.5kgの収穫も先にいただいて帰っちゃったしね。真失礼(ジンシッレイ)!

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# by pivot_weston | 2015-07-13 05:50 | ブログ

時空を呼び戻し、濃くする歌

 世田谷区某所。狭い、薄暗い空間に白くなった頭が対容積比でたくさん集まっていた。みな私生活でなんらかのつながりのある人たちらしい。

 わたしは同業者から「こんなことをやってる」という話を聞き、「じゃ、行きますよ」と言って、出かけていった。それも、一度目は、それでいったん話がつきながら、その直後に「申し訳ないけど、今回は……。またやりますから、次に来て」と言われての出直し参加だったが、その理由もその空間の狭さを見て、よく理解できた。

 折しも「ジュライ・フォース」。当地よりは半日ほどフライングしての独立記念日だったが、その記念日を祝う国で、半世紀ほど前にはやった、情けない失恋の歌や失業の歌のオンパレード。それを、その半世紀ほど前に、ラジオかなにかで聴きながら、いいと思って学校の体育館の陰かなにかでギターをかかえてやっていた仲間たちが、またやっていた。誘ってくれた同業者は「ボーカルをやる」と聞いていたから、まあ、まんなかのほうか、前のほうにはいるんだろうなと思っていたが、なんのことはない、彼ら3人の、その体育館の陰時代からの仲良しグループのコンサートで、背後はプロのピアニスト、ベーシスト、ドラマーの人たちがかためていた。

 ほんとかうそか知らないが、同業者のボーカリストが歌詞の意味を説明すると、身内から「え、初めて知った」なんて声も返っていた(半世紀も意味を知らずにいたのかなあ、わたしも他人のことばかりは言えないけど)。集まった白い頭の人たちも、曲が進むにつれて、体を揺らしだし、そのうしろ姿を拝見していると、ああ、この人はこういう青年だったのかな、ああいう学生さんだったのかな、という想像を誘われる。

 作家の芦原すなおさんの「デンデケデケデケ」の話も出たが、要するに、あの時期、うしろを振り返ることなく、前方に開けてきた世界を自由に模索することを許されていた(もしかすると、そう仕向けられていたのかもしれないが)世代の、半世紀ほど経た上での、「もういっぺん、あのころはできなかったことをやろうぜ」のコンサート。肉体的エネルギーやなにかは低下しているだろうが、世のなかや自分の人生のありようを見てきたせいで、歌詞に対する理解や、あえて声を出す、あるいは出したい切実さは増している。

 そのムーブメントより少し遅れて走ってきたわたしにも、ひとつ、「あっ」と思うことがあった。わたしのとなりにいた人のリクエストでうたわれたオーティス・レディングの『ドック・オブ・ザ・ベイ』。ボーカルの同業者の人が歌う前に「これも情けない歌。ジョージアからサンフランシスコまで来たのに、仕事もない、なにもうまくいかないと思って港に腰かけて……wasting time」と説明するのを聞いたあとで歌を聴いたとき、あ、これ、少し遅れた世代のわたしたちも中学時代に聴いていた、サンフランシスコ出身なのにミシシッピ風の歌ばかりうたっていたクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルのベースになった歌かな?――とちらりと思った。

 正確ないきさつなどわからない。ああいうイベントは、ひとりひとりがそれぞれにそんな思いにぶつかり、自分の人生に自分なりの肉付けをしていくことができるところに意味があるのだろう。誘ってくれた同業者の先輩に多謝、多謝(でも、シュープリームズみたいに3人のメンバーが知り合いのお客さんから50cmも離れていないところに並んで立って、いかにも職人さん風のプロのミュージシャンのかたたちをバックにうたう姿はなかなかのものでした)。

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# by pivot_weston | 2015-07-05 12:29 | ブログ

温室効果ガスインベントリ

 少し時期がずれたかもしれませんが、4月に国の温室効果ガスインベントリ報告書が発表されていますので、リンクで紹介しておきます。

 日本のインベントリ報告書
 米国のインベントリ報告書

「気候変動」だ、「地球温暖化」だ、「CO2」を減らさなきゃ、「温室効果ガス」の排出量を減らさなきゃ、と言うときの「減らさなきゃ」いけないものとは、ここで報告されている「排出量」の総量のことをさします。

 見るからにとっつきにくい大部の報告書です。まだ人類が始めてからそれほど間もない取り組みなので、「法」だの「制度」だのというものをひとつひとつ、慣れない手つきで、忘れないように、抜かさないように、たどたどしく縫い込むようにして作られていますから、「生硬」の観もぬぐえません。

 しかし、欧州のように自然の自活能力の疑わしい地域の人たちは、またいつものようにエシックスロンダリングしながら、こういうものを、わかりにくいのをいいことに、わかりにくいまま特権化・専門化し、自分たちの生きていく手立てにしようとするのかもしれませんが、それでは、わたしたちが長く生きていけるようにするために人間の経済活動のむだを省いていこうとしているこの取り組みのそもそもの目的に反しますから、日本の若い人の、とくに時間のある学生さんなどには、ぜひこういうものに、難しくても、片隅からでもとりついてもらって、少しずつでも自分たちの日常言語で語れるやさしいものにし、究極的には、どの家でもおとうさんやおかあさんが子どもに語って聞かせられるようなものにしてほしいと思います。そうしないと、こういうものは利権争奪戦に飲み込まれ、結局はなんの意味もない、あるいは逆効果のものになってしまうでしょう(もちろん、「土壌」あるいは「農地管理」の持つ意味にもご注目いただければと思います)。

 すみません、日本の報告書のほうへはうまくリンクしないかもしれないので、その場合は国立環境研究所の温室効果ガスインベントリオフィスのページにアクセスし、「和文」の報告書をダウンロードしてください。

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# by pivot_weston | 2015-06-18 20:19 | ブログ

温室効果ガスインベントリ

 少し時期がずれたかもしれませんが、4月に国の温室効果ガスインベントリ報告書が発表されていますので、リンクで紹介しておきます。

 日本のインベントリ報告書
 米国のインベントリ報告書

「気候変動」だ、「地球温暖化」だ、「CO2」を減らさなきゃ、「温室効果ガス」の排出量を減らさなきゃ、と言うときの「減らさなきゃ」いけないものとは、ここで報告されている「排出量」の総量のことをさします。

 見るからにとっつきにくい大部の報告書です。まだ人類が始めてからそれほど間もない取り組みなので、「法」だの「制度」だのというものをひとつひとつ、慣れない手つきで、忘れないように、抜かさないように、たどたどしく縫い込むようにして作られていますから、「生硬」の観もぬぐえません。

 しかし、欧州のように自然の自活能力の疑わしい地域の人たちは、またいつものようにエシックスロンダリングしながら、こういうものを、わかりにくいのをいいことに、わかりにくいまま特権化・専門化し、自分たちの生きていく手立てにしようとするのかもしれませんが、それでは、わたしたちが長く生きていけるようにするために人間の経済活動のむだを省いていこうとしているこの取り組みのそもそもの目的に反しますから、日本の若い人の、とくに時間のある学生さんなどには、ぜひこういうものに、難しくても、片隅からでもとりついてもらって、少しずつでも自分たちの日常言語で語れるやさしいものにし、究極的には、どの家でもおとうさんやおかあさんが子どもに語って聞かせられるようなものにしてほしいと思います。そうしないと、こういうものは利権争奪戦に飲み込まれ、結局はなんの意味もない、あるいは逆効果のものになってしまうでしょう(もちろん、「土壌」あるいは「農地管理」の持つ意味にもご注目いただければと思います)。

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# by pivot_weston | 2015-06-18 20:19 | ブログ